からくり時計の鳩が鳴きながらくるくると回りだした。午前九時だ。

 私達は直樹兄の作った朝食を食べ終えて軽くティータイムを取った後、談話室に集まっていた。別に私が提案したわけではなく、あの高飛車(たかびしゃ)女、加納さんが突然言い出したのだ。このくそ忙しいのに、わざわざ出向かされた大塚一家はいい迷惑である。
「こうして今、みんなに集まってもらったわけなんだけど――」
 そう言って、ソファーに座り足を組む。
「いい加減、はっきりさせておきたいのよ。」
「アリバイの事ですか?」
 すかさず私が突っ込みを入れる。加納さんは、面食らったようにその場に硬直(こうちょく)した。
 ――図星(ずぼし)だな、こりゃ。
「・・・・・・分かっているのなら、いいのよ。さぁ、まずはオーナーから言ってちょうだい。」
 さながら社長が重役会議で部下に意見を求めている風な言い方である。ものの頼み方ってものを知らないのだろうか、この人は。
「はぁ、私どもは夕食の後片付けが終わったあと、私は川端と二人、談話室で酒を飲みながらしばらく話していましたが、他は翌日の朝食の食材を確認して各部屋に戻って寝ていました。私が最後に全ての部屋の戸締(とじま)りをして、確か床(とこ)についたのは午後十一時半過ぎだったと思います。」
「そう。次、永井夫妻、あなた達は?」
「私達は、皆さんと一緒に部屋に戻ったらそのまま眠ってしまいました。いつも十時には寝るようにしていますから。」
 オーナーも、永井夫妻も、やや心外(しんがい)そうな顔をしている。まぁ当然といえば当然だが。
「君達、仲良し三人組は?」
「な、なか・・・・・・?」
 加納さんのすばらしいネーミングセンスに、古本さんは耳を疑っているようだ。私は、笑ってやる気にもならなかった。
古本さんがまともに話しはじめたのは、それから数秒後のことだった。
「・・・俺達は部屋に戻った後に、俺ンとこで酒飲んでだべってたよ。それから、気づいたら朝だった。」
 どうりで朝から酒臭いわけである。
「私も永井夫妻と同じく、部屋に帰ったら間もなく寝てしまいました。同室の中原さんはお友達とご一緒だったと伺(うかが)ってますが。」
「右に同じく。」
「私も真理子さんと同じです。」
 長引かせるのも面倒なので、私は簡潔(かんけつ)に返事をした。どうやら、真理子さんも同意見のようである。
「大塚と飲んだ後に、さっさと寝た。やはり十一時半頃だったかな。関君は部屋に戻った時にはすでに眠っていたよ。」
「俺達も自室で大人しくしていたが。」
 最後の兄貴達の言葉はあてにならないが、父さんがオーナーと酒を飲んでいたのは事実である。
「あの・・・・・・私達も・・・・・・。」
 平松さんが辺りをうかがいながら、おずおずと口を開く。
「いいのよ、それは。分かっているから。」
 か細い平松さんの言葉を加納さんが強引に遮る。彼女の自分勝手な言動に憤(いきどお)りを感じながらも、誰として文句をいう人間はいなかった。こんな偏屈女(へんくつおんな)と喧嘩(けんか)するほど、皆は暇ではないのだ。
「とりあえずこれで一応全員聞いたわけなんだけど、誰もこう、パッとしたアリバイを持っている人がいないんじゃあねぇ。」
 あんたのアリバイを聞いた覚えはないっ、と指摘してやろうかとも思ったが、これは私の胸の内にしまっておくことにした。
 しかし、そろそろ彼女の論理も潮時(しおどき)だろう。

「そりゃあ、そうでしょうね。」

 よどんだ雰囲気が、私のこの一言で一気(いっき)に張り詰める。全員の注意が私に集まった。
「食事が終わって、各自が部屋に戻った後のことなんだから、アリバイがあやふやなのは当たり前ってことよ。はっきりとしたアリバイを持っている方が、かえって不自然だと思わない?第一、原田さんの死亡(しぼう)推定(すいてい)時刻(じこく)さえ『夜から朝まで』くらいにしか分かっていないのに。」
 めいめいが何か気づいたような表情を見せる。実は原田さんの死亡推定時刻、さっきの会話を参考にすれば、オーナーが部屋に戻った午後十一時半頃から桜さんが死体を発見した翌日の午前六時半までの間、というまでは断定できたりするのだ。勿論(もちろん)口には出さないが。
 加納さんは露骨(ろこつ)に舌打ちをして、こちらを睨(にら)みつけてきた。
「だったらどうして、もっとそれを早く言わないのよ!?」

 ――私はオイシイ所しか持っていきたくないからだ!

 と言い切ってやりたかったが、その気持ちをぐっと飲み込んで、私は冷静さを装(よそお)い彼女をちらりと一瞥(いちべつ)して答えた。
「だって、他人が仕切っているところに私が横ヤリ入れるのは失礼ってもんでしょう?話は最後まで聞いてあげなきゃ。」
「ぬぁんですってぇ!?」
 加納さんは完全にキレてしまったのか、目の前の机を思い切り叩いた。両隣に座っていた平松さんと中原さんは、彼女との間を少し空けようとしている。
「お前はどうしてそう、火に油を注ぐ事を好んでするかなぁ?」
 父さんは気の抜けたように、がっくりと肩を落とす。
「もう少し思いやりを持とうよ。」
 加納さんには決して聞かれない小さな声で、良一が耳元で囁(ささや)く。
「嫌だ。」
私は即答(そくとう)した。
「私、こんな娘(こ)と一緒に居たくない!部屋に戻らせていただくわ!!」
 すっと立ち上がったかと思うと、加納さんはドタドタとスリッパの音を立てながら、階段を登って行った。

「あんたって、最高!」
 彼女がいなくなって、まず最初に真理子さんが爆笑した。つられて何人かもプッとふき出す。張りつめた風船が一気に破裂(はれつ)したかのようだった。
「いやぁ、傍(はた)から見ていてあれほど愉快(ゆかい)なもんはないわねぇ。」
 笑いすぎて苦しいのか、まだお腹をおさえてヒーヒー言っている。そんなに高飛車女の失態(しったい)というのは面白いのだろうか。
 ――ここで「おぼえてらっしゃい!!」などと口にしたら、三流悪役っぽくてハマるんだけどなぁ。
「ま、まぁ、人のことを笑うのはこれくらいにして。」
 フォローを入れているつもりなのだろうが、当のオーナーも肩を震わせている。
「ひと段落ついた所で、お茶にでもしましょうか。」
 皆の返事を待つまでもなく、須美さんと桜さんはお茶の用意をしはじめた。

「相変わらず、すごい風ですねぇ。」
 雪は降っていないものの、今なお風は唸(うな)りをあげて窓を打ち続けている。
「こんな暴風じゃあ、外出するのは無理ね。道だって通行止めなんでしょう?」
 紅茶をティーカップに移しつつ、桜さんが答えた。
「残念だったな、夏美。ゲレンデに穴を開けることができなくて。」
「あんたも、折角(せっかく)買った高価なスノーボードが壊れなくて良かったじゃない。」
 良一のたわごとを軽く返しつつ、周囲を見回す。私達のいるこの談話室は、玄関と、直接食事をするダイニング、真正面にはフロントが見える。その間をまっすぐ伸びている廊下の先にスタッフルームがあり、ここは関係者以外立ち入り禁止だ。談話室を囲っている壁の途切れた先には階段があり、二階の客室へと続いている。
 視点(してん)を左から右に百八十度回転させると、壁にかかっている丸くて小さなからくり時計と、訪問者とインターホンで会話する受話器があるのが目に入る。ちなみにこの受話器、配線が短くて当の持ち主であるオーナーには手が届かず、ものの役にもたたないという致命的(ちめいてき)な欠陥(けっかん)があったりする。そういう理由で、昨日のインターホンの点検は直也兄が受話器を取ったのだが。
 また視線を落とせば、床のフローリングと、談話室の机とソファーの下に敷(し)いている柔らかい起毛(きもう)のラグが見える。双方とも手入れが行き届いていて、ペンションならではの暖かみを感じた。ただ、受話器の下あたりに昨晩には気づかなかった、かすかな傷があった。
 さて他の人はどうしているかというと、永井夫妻は歳が同じころと推察(すいさつ)されるこのペンションの最長老、大塚京子さんと茶飲み友達のごとく世間話に花を咲かせている。あの大学生三人組と青野さんは、兄貴達と何やら階段のあたりで騒いでいた。共通の話題でもあるのだろうか。
 私の隣には、さっきまでうろたえていた平松さんと、一人で大うけしていた真理子さんがいる。二人は紅茶とデザートの話題でひとしきり盛り上がっていたが、私は話の輪に入ることもなく、ただ呆然(ぼうぜん)と兄貴達の方を眺めていた。
 直樹兄の隣に座っていた中原さんが、懐(ふところ)からナイフのようなものを取り出して、その刃を布で拭き始めた。
「ねぇ、冬彦くんもさぁ、話の中に入ろうよぉ。」
「あ、僕はそのジャンルには疎(うと)いんだ。パソコンも持っていないしね。あのパソコン独特の機械(きかい)臭(しゅう)が苦手だから。」
 中原さんは苦笑しながら頭を横に振ってみせる。彼は昨日の反応からして『VDFIE』のことは知っていそうだったが、もしかすると本当に古本さん達について来ただけなのかもしれない。無論(むろん)、断定はできないけれども。
「へぇ、ゾーリンゲンですか。」
 デザートのケーキを持ってきたオーナーが、テーブルにケーキを置きつつ言った。
「分かりますか。」
「ええ、私もこう見えてコレクターの一人でね。ゾーリンゲン製の刃物は果物ナイフから実戦用のダガーまで網羅(もうら)していますが、貴方(あなた)の持っているものは見たことがないなぁ。大ぶりのサバイバルナイフのように思えますが。」
 オーナーは中原さんの持っているそれをまじまじと見つめる。なるほど、刃の部分が大きく厚みが少なくとも五ミリ以上はあり、間違っても鉛筆削(えんぴつけず)りに使える代物(しろもの)ではなさそうだ。
「N198型限定版です。八十年くらい前には実戦でも使われていた型ですよ。」
「おおっ。」
 オーナーが歓喜(かんき)の声をあげる。それだけ、マニアの間では価値の高いものなのだろう。

「これと同じ種類で、ここまで保存状態がいいのはおそらく無いでしょう。これなら人間だって殺せる。」

「!!」
 さっきまで騒々しかった室内が、とたんに静まった。視線が自分に集中していることに気づいた中原さんは、乾いた笑いを作って言った。
「い、嫌だなぁ。例えばの話ですよ。・・・・・・まいったなぁ。」
 そんな事は百(ひゃく)も承知(しょうち)である。けれども、今は『殺す』という言葉一つにも反応してしまう位、みんな敏感(びんかん)になっているのだ。中原さんは、まわりの表情を伺いながら、申し訳なさそうに鋭(するど)い光を放つそれを懐にしまいこんだ。

「・・・・・・でも本当に殺されたのかしら、彼。」

 ふいに真理子さんが、とんでもないことを言い出した。
「だって、もし自分が屋内から締め出されたと知ったら、必ずペンションの中にいる人間に知らせようとするはずよ。壁や窓を叩いたりもしたでしょうし、それに誰も気づかないって事がある?」
 言われてみればそうである。私はしばし黙って、他の人がどう出るか観察することにした。
「寒さで体が参っちまって、動けなくなったんじゃねーの?」
 直也兄がまず答える。
「でもそれならば尚(なお)のこと、死にもの狂いで助けを求めようとするだろう。」
 直人兄がすぐさま返す。青野さんたちも話に乗ってきた。
「睡眠薬を使ったんじゃないか?あの人酒好きみたいだったから、その中に入れて。」
「それじゃあ、仮に外に出た後で薬が効いたとしても、抵抗する間もなく昇天(しょうてん)ですよ。」
「・・・・・・犯人が外部の人間ならどうだろうか?」
 意外にも横から口出しをしたのは、永井康助さんだった。この手の話題になるとあまり積極的に話さなかったのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
「どうも私には、この中に殺人犯がいるとは思えないんだよ。」
 確かに、原田さんを殺したのが外部の人間でないと仮定してしまったならば、犯人はペンション内にいる人間に限られてしまう。
「もしかしたら、原田さんは本気で外出するつもりだったのかもしれませんね。」
 中原さんが、冷めかけたコーヒーをすすりつつ言った。
「外はあの暴風だったのよ、なのにどうして?」
「そんな事は本人に聞かなければ分かりませんよ。彼にとっては重要な用事だったのかもしれない。」
さっきまでシカトを決め込んでいた良一も、議論に加わった。
「鍵の件はどうします?外出するのだったら普通、フロントから鍵を借りようとすると思いますが。」
「前もって合鍵を手に入れていたのかもしれないわよ、良一君。叔父さんだっていつも警戒(けいかい)しているわけじゃないんだから。スキを見て玄関の合鍵(あいかぎ)くらいは盗み出せると思うの。事前に計画していたのなら、不可能ではないわ。」
「しかし真理子、いくらなんでも合鍵が無くなったら分かるさ。それに、そんなに簡単に盗めるものでもないだろう?」
 オーナーは、冗談(じょうだん)をからかうように言った。
「でもね叔父さん、ちゃんと鍵を置いてあるフロントに毎回施錠(せじょう)してる?今日、本当に合鍵があるかどうか確認した?」
「うっ・・・・・・。」
真理子さんの怒涛(どとう)のような質問の嵐に、オーナーは完全に言葉を詰まらせてしまった。
――おいおい、それはまずいだろ。
「だけど真理子さん、『事前に計画していた』って言ったって、そこまでする理由がどこにあるって言うんです?」
 さっぱり事情が飲み込めないという顔をしている桜さんは、口をとがらせて問いつめた。私も視線を真理子さんに移すが、こちらに気づくと彼女は目をそらしてしまった。

「・・・・・・『VDFIE』、ですか?」

 やっと聞き取れるくらいの声が、真理子さんの隣側から耳に入って来た。見れば、平松さんである。真理子さんは困った様子で私にすがるような表情をしていた。
「知っている事は全部話した方がいいんじゃありませんか?人も死んでいるんだし、個々の情報量に差があるんじゃあ、フェアじゃないわ。」
 こういった見もフタもない私の助言で、真理子さんは『VDFIE』とそれにまつわる現状について話しはじめた。




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