一階に降りてみると、フロントで直樹兄、直也兄とオーナーが何やら話をしていた。雰囲気からして世間話ではないらしい。
「直也君、すまないがあそこの受話器を取って、何か音がしないか聞いてみてくれないか?」
「いいですよ、今すぐですか?」
「いや、インターホンが鳴ってからだ。ちょっと待ってくれ。」
そう言うなり大塚さんは自分で持っていたコートを羽織(はお)り外に出て行った。
「何やってるの?」
私は近くでやりとりを見物していた直樹兄に尋(たず)ねた。
「あそこの受話器のテストだよ。設置して間もないからって。」
そう言って直也兄のいる方向を指さす。確かにそこに受話器があった。
「でもあれって来客とインターホンで会話するための受話器なんでしょう?それにしては位置が高すぎるよ。」
「そうだねぇ。」
事もなげに返事をする。全く直樹兄は私でも腹の底の見えない人なので別の意味で怖い。
ピンポーン
インターホンの音が鳴ると同時に直也兄が受話器を取った。
「ええ、聞こえますよ。でも風の音が強くて聞き取りにくいです。・・・あ、はい、分かりました。」
「何がわかったの?」
「早く食事に行け、だと。」
「あ、そう。」
こんな所に長居(ながい)は無用(むよう)。私達はすぐ隣のドアから食堂に入った。
談話室のからくり時計の鳩がひと鳴きした。その下にある時計盤(とけいばん)が、午後七時半を示していた。
食堂では、すでに宿泊客が食事をとっていた。真理子さんと別れて父さん達の座っている少し広めのテーブルにつく。どうやら私達が一番最後に来たようである。
「遅いぞ、お前等(ら)。」
チキンソテーをほおばりながら父さんが言う。私はその言葉を聞かぬフリをして、用意された食事に手をつけた。
「・・・あの話を信じるのか、夏美。」
隣に座っていた良一が他の人には聞こえないくらいの声でぼやく。
「何が?」
「『VDFIE』だよ。あれが本当ならば、とんでもない事だぜ。分かってる?」
「分かってるわよ。ったく、『VDFIE』が・・・・・・。」
「『VDFIE』が、何だって?」
意外な方向からの意外な声に、私達二人は硬直(こうちょく)した。そして、油の切れかかったブリキ人形のような動きで声の聞こえた方面へ向く。
「やぁ。」
予感的中、そこにはにこやかに笑う直樹兄の姿があった。
「何であれが聞こえる?あの人には神通力(じんつうりき)でもあるのか?!」
「全く底が見えないからね、直樹兄は。」
今の会話でテーブルを囲っていた他の面々も気づいたらしい。仕方が無いので、部屋で真理子さんと話した内容を要点だけかいつまんで説明した。
「あのな、本気で真実だと思っているのか、それを。」
怪訝(けげん)そうな表情で直人兄がため息をつく。
「真実ではない、とも言えないよね。」
私の言おうといていた事を、先に直樹兄が言った。
「どっちでも構わん。」
「私達には関係ない。」
「説明されても分からなかった。」
「とにかく放っておけば、好きにやるっしょ。」
皆の協調性(きょうちょうせい)のカケラも感じられない意見でこの話題を締めくくり、さぁ食事再開しようかという時に大塚さんの声が耳に入った。
「皆さん、ちょっとすいません。」
周りの話し声が消え、皆一斉(いっせい)に大塚さんの方を向く。
「せっかく遠路はるばるこんな小さなペンションにお越(こ)しくださったんですから、『旅は道連れ、世は情け』とも申しますし、親睦(しんぼく)を深める意味でも皆さんに大まかな自己紹介をしていただきたいんですが、よろしいですか?」
少し周りがざわつく。しかし、めだって反対意見は出なかった。
「どうやら反対する人がいないみたいなので自己紹介をしてもらいましょう。まずは永井さんからどうぞ。」
大塚さんに言われて、左端(はし)に座っていた老夫婦が恥ずかしそうに立ち上がった。両方とも小柄(こがら)で白髪である。
「永井(ながい)康助(こうすけ)です。元会社員でしたが、退職してその祝いの旅行としてここに来ました。」
「妻の千代(ちよ)です。皆さん宜(よろ)しくお願い致します。」
二人が軽く会釈(えしゃく)すると、周囲から拍手がおこった。
「左から順番にお願いします。」
「じゃあ次は俺達か。」
そう言って若い男女三人が勢いよく立ち上がった。
「古本(ふるもと)剛志(たけし)、K大の三年生です。今回は、カノジョと友人(ダチ)と三人でスキーしに来ました。みなさんどーぞよろしく。」
「深雪(みゆき)加穂(かほ)でぇす。剛志と同じく、K大の三年生。ここのアットホームで『家族』ってカンジがけっこう気に入ってまぁす。」
「中原(なかはら)冬彦(ふゆひこ)といいます。大学等は先の二人と同じで、彼らに便乗(びんじょう)してきました。宜しくお願いします。」
空騒(からさわ)ぎしている古本と深雪という人に対して、中原という人は物静かな印象を受けた。外見からしても目立った黄色に近い茶髪である二人とは異なり、髪の毛でも品のいい深い栗色をしており実に対照的(たいしょうてき)だ。ただ一番の相違点(そういてん)は、どこにでもいそうな平凡な容姿の二人と比べ、中原という人は恋愛ドラマの主演俳優ばりの二枚目だということである。まぁ容姿に恵まれている彼は、私生活ではあの二人よりも派手なのかもしれない。この手の人間は裏で何をやっているか分からないものである。偏見(へんけん)だけど。
私が三人を観察しているうちに、次の人の自己紹介はもう始まっていた。
「加納(かのう)ひろみです。職業はシステムエンジニアで、本日は休暇(きゅうか)を利用して来ました。こちらは高校時代の後輩(こうはい)で、私の友人の妹です。」
「平松(ひらまつ)愛(あい)と申します。どうぞよろしくお願いします・・・・・・。」
堂々と話す加納という人に対し、平松という人は緊張(きんちょう)しているのか、おどおどして言葉がしどろもどろである。加納という人はショートカットが似合うりりしい美人で、派手だがセンスのいいメイクをしている。その言葉の雰囲気は、ある種真理子さんと通じるものがあった。平松という人は全く反対に、物腰(ものごし)が柔らかく、二つにきれいに編み上げられたみつあみが、さらにそれを強調しているようだ。
「水谷(みずたに)真理子(まりこ)です。ここのオーナーとは親戚関係で、急な私用のためにここにお世話になることになりました。皆さんよろしく。」
「青野(あおの)進(すすむ)です。私ははじめ、ここに泊まる予定は無かったんですが、途中で車がスリップしてしまいまして、急遽(きゅうきょ)こちらに宿泊させていただくことになりました。オーナーをはじめスタッフの皆様には誠に感謝しております。中原さんにも部屋を提供(ていきょう)していただきまして、この恩は必ず忘れません。」
次々と各自が自己紹介をしていく。真理子さんはもういいとして、青野という人はどこにでもいる小太りした中年男性である。平凡な中年サラリーマンの極めつけとして、太いフレームの眼鏡(めがね)をかけていたりする。
そうこうしているうちに、私達の番が回ってきた。まずは一斉に立ち上がると、始めに父さんが口を開いた。
「私は川端(かわばた)十郎(じゅうろう)太(た)と申します。国際線のパイロットなのであまり定期的に休みは取れませんが、本日は同級生で親友であるここのオーナーに招待されて来ました。こちらは私の子供達とその幼なじみです。」
「川端(かわばた)直人(なおと)です。今年から司法(しほう)修習生(しゅうしゅうせい)になります。」
「川端(かわばた)直樹(なおき)です。調理(ちょうり)師(し)免許(めんきょ)を無事取ることができ、レストランへの就職が決まっています。」
「川端(かわばた)直也(なおや)です。この春でN大の二年生になります。」
「川端(かわばた)夏美(なつみ)です。今年で高校二年生です。」
「関良一(せきりょういち)です。同じく高校二年生になります。」
一通り言い終わった後、周りの拍手を受けながらゆっくり座る。
「あとは原田(はらだ)さんだけですね。では原田さんに自己紹介をしてもらいましょうか。」
大塚さんの言葉で、視線は右端(みぎはし)にいた男に集中した。病的に痩身(そうしん)なその男は、歳は若いのかもしれないが顔は少し老(ふ)けているように感じた。また、自己紹介がはじまる前から、その途中も、そして今もウィスキーをロックで飲み続けているらしく、もう完全に泥酔(でいすい)していてまともに話せるとは思えない。ここから原田という人のところまで結構遠いが、それでもアルコールの臭いが漂(ただよ)ってくる。
「・・・大塚さん、もう茶番(ちゃばん)は止めにしようぜ。」
その人はグラス片手にそう言った。舌が回っているところをみると、意識ははっきりとしているのかもしれない。
「茶番?どういう事です?」
原田さんの意味不明な発言に、大塚さんは困っている。
「隠さなくったってみんな知っているんだ。あるんだろ?ここに『VDFIE』が。」
さっきまでざわついていた室内が、水をうったように静かになる。
「・・・この様子だと、オーナー一家と永井夫妻だけが、この事を知らなかったみたいだね。」
皆の表情を眺(なが)めながら直樹兄が言った。
「びどふぃー、とか何とか言ったか知らないが、ここにそんな物はないよ!全く何を考えているんだか。」
オーナーの後ろから小柄な老婆が出てきて、大声で怒鳴(どな)った。多分この人がオーナーの義母にあたる人だろう。
「お婆ちゃん、きっとこの人、酔ってしまって幻覚(げんかく)でも見てるのよ。お部屋に連れてってあげたら?」
すかさず真理子さんが助言する。オーナーが原田さんの肩を持ち、いろいろ並べたてる彼の戯言(ざれごと)はとりあえず無視して、彼を部屋に運ぶために食堂を出て行った。
それにしても、危うく『VDFIE』の事がオーナーにバレる所だった。闇取引というものは普通秘密で行われ、もしも第三者に存在を知られたら取引は中止とするのが一般的である。オーナーが取引の首謀者(しゅぼうしゃ)だと勝手に思い込み、みずみず無関係な人に秘密を漏らしかけた原田さんに比べると、真理子さんはそこそこ役者のようである。
「さぁ皆さん、大変お騒がせしてしまいましたが、食後のお茶の用意もありますのでどうぞごゆっくりくつろいでくださいね。」
その場の雰囲気を和ませるべく、須美さんはめい一杯の笑顔を作って言った。
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