午後15時。某ショッピングモール、アウトレット街内。 「すいません、これ試着してもよろしいですか?」 私はバーゲンセールで忙しそうな店員に声をかけていた。勿論、あと僅かな給料の残りで買う洋服を吟味するためである。『研修中』という札を胸にかけた頼りなさそうな店員だったが、快く私を試着室まで連れていってくれた。 「何か御用ございましたら声をかけてくださいね。」 初々しい笑みでそう言った彼女は、そのまま試着室の前で立ち止まっていた。私は構わずそこに入る。 ――別に御用って言っても、特には何も……。 そう考えながらも手に取っていた上品な白いワンピースに袖を通しはじめる。 だが5分後――思いもよらず私はブースの外にいるであろう店員を呼んでいた。 「すいません!ちょっと手伝っていただけますか!?」 「どうされましたお客様?!」 「いや、あの……」 言葉を濁す私にしびれを切らしたであろう新人店員は、失礼しますと前置きしてから試着室のカーテンを開ける。
店員はカーテンを開いたままの状態で硬直していたが、絞り出すような声を私にかける。 ――いや、言いたいことは分かってる。分かってるからとりあえずカーテン閉めてちょうだい。 などと心の中ではぼやいていたが、それよりも先にこの状況をどうにかして欲しかった。 「す、すいませんが、このワンピ脱ぐの手伝っていただけませんか?」 我ながら情けない格好だと思うが、一度袖を通したものが抜けないのだからどうしようもない。声をかけてはじめて我に返った新人マヌカンに手伝ってもらい、なんとかそのワンピースに解放されることには成功した。 「ありがとうございました。商品大丈夫ですかね?」 「あ、はい。大丈夫だと思います。……多分。」 ――何なんだ、その曖昧な表現は。 「そうだ、このワンピースのサイズ違いありませんかね?……大きい方の。」 「いえ、この商品は現品限りでございますので。」 今度ははっきりと言い切られ、多少切ない気持ちになりながらもワンピースを店員に返してトップスのワゴンセールに参戦しに行った。 そして、向かい側の店から聞こえる聞きなれた声をまたもやキャッチしたのである。
「……あのさ、何度も言ってるけどなんで俺が橋本の水着選びに付き合わないといけないの?」
だがなんで、優ちゃんと加藤がよりにもよってファッション系水着の店に来ているのだろうか。話の流れからしてかなり加藤は嫌そうだが……。 「だってしょうがないっしょ?真帆ちゃんが村上とデートしに行ったんだから。」 「いや、長谷川が村上とデートするのは付き合ってるんだから普通だし。むしろ俺らの方が不自然だし、しょうがないって意味わかんないし。」 「加藤の言ってる言葉の方が意味わかんないよ。何そわそわしてんの?」 二人は会話が噛み合わないまま言い合いを続けている。確かに、傍目で見ても水着を持ってる優ちゃんはいいとして、それを見せられている加藤のほうが挙動不審だった。 「あー!!この水着、優が着ているところソーゾーしてんだ。やーらしー!!」 「人を無理やり連れて来ておいて何言ってるんだよ!そうじゃなくて、その、この店の隣下着売り場だし、俺ここに居て変態の目で見られてないかどうか……。」 「やっぱ加藤ってムッツリなんじゃん、やーらしー!!」 「違うって!!」 どう足掻いても優ちゃんに言いくるめられる加藤。男というものはこういう時にとことん立場の弱いものである。恐らくは長谷川さんと優ちゃん、村上と加藤が合流した時に余った者同士無理やり連れて来られたのであろう。 こういう時は大体講師である私が仲裁に入るものなのだが、今日は仕事は休み。講師瀬名依子はここにはいない。 ――今のうちにしっかり社会勉強しとけ、加藤。 私は生暖かい目で二人のやりとりを見ながら、ワゴンセールで見繕った何枚かのトップスを手にレジへ向かったのであった。
一通りアウトレット街を物色し終わった私は、再びバーゲンセールとは縁の薄い場所に来ていた。いや、電気屋も夏場にむけての商業戦線で値引き合戦を繰り広げているのだが。 もちろんここに来たのには理由がある。実は私のパソコンのディスプレイが机の幅を占拠しており、薄型の最新のものに買い換えようと前々から思っていたのだ。確かに給料前で金銭的にキツいのではあるが、以前からこれ用に蓄財していたので問題は無かった。まぁ逆に言ってしまえば、今は遊ぶ金が無いだけだったりする。 そういうわけで、最新型パソコンディスプレイが陳列されている電気屋の一角で私は商品を吟味していた。数分間ディスプレイ達とにらめっこしていたが、ふと後ろから肩を叩かれる。思わずびくりと体を震わせる私。 「後ろから失礼しました、商品をお探しですか?」 電気屋のロゴの入ったエプロンをつけた青年は、気まずそうに目を泳がせた。おそらくここでアルバイトをしている大学生のようである。特に器量が良いわけではなかったが、誠実そうな、好感の持てる青年だった。 「え、ええ。実はそうなんですよ。パソコンのディスプレイ、買い換えようと思って。」 数時間前、自分の元生徒に後ろから奇襲をかけられたので神経過敏になっていたようである。私も懸命に愛想笑いをしながらその場をつなぐ。 「そうなんですか。パソコンはお詳しいのですか?」 「いえ、私はそんな……詳しいのは『弟』なんです!」 気がつくと、私は何故か意味も無く嘘を口走っていた。いや確かに、今流行りの『アキバ系』ではないよ、という言い訳がましい思いはあったけれども。 「そうでしたか。それではですね……」 私の様子を意に介すことなく、バイトの彼は各制作会社のディスプレイの特徴について丁寧に説明しはじめる。肝心の私はというと、どうしてあんな無意味な嘘を言ってしまったのか、それだけが頭の中をループしていた。 「……と言いましても、弟さんのパソコンの事ですからお一人ではあまり参考にはなりませんよね?」 「う、あ、ハイ。」 曖昧に相槌を打つ。いつの間にか私は、『弟』のパソコンのディスプレイを見に来たのだと勘違いされているようであった。 「でしたら僕、ここの売り場の担当なんで、いつでも連絡ください。相談に乗りますから。」 そう言ってバイトの青年は、エプロンのポケットから小さな紙を取り出して私に手渡す。『メディアプラス販売部』と肩書きを記されたそれは、まぎれもなく名刺だった。どうやら彼はバイトではなく正社員だったようだ。 ここでひとつの考えが私の頭をよぎる。たとえ私が有望な顧客に見えたとしても、初対面でいきなり販売員が商品を買いもしない客に自分の名刺を渡したりするだろうか。ここには私以外にも沢山の客で溢れているのに。 となると、この事実が示唆している状況はひとつ。
他の販売員に呼ばれ、その場を去ろうとする彼の腕を私は掴んだ。このチャンス、むざむざ逃すほど余裕はないし、プライドなんて3年半前にドブ川に捨てている。 「すいません!私やっぱりディスプレイ買いますから、お勧めのものを紹介して……」 今はただ、この縁を繋ぐきっかけが欲しかった。腕を掴まれた彼は、少し面食らったような顔をしている。だがしかし――
「ああ、弟さんでしたか。どのようなタイプのディスプレイがいいですか?最近は地上デジタル放送に対応したこちらのものなどが……」 「悪いけどあっち行ってくれます?『姉さん』と相談して決めますから。呼ばれているんでしょ?アンタ。」 明らかに敵意を含んだその声は、販売員のセールストークを一刀両断する。居心地悪そうな彼は、穏やかに私の手を振り切り呼ばれたブースの方に行ってしまった。
「貴様いつから私をつけて来ていた?」 「ずっとですよ。今日の先生、どこか危なっかしいですからね。」 「……橘よ、ストーカー行為は犯罪だって知ってるか?」
「余計なお世話じゃ、ボケ!!」
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