その後、自慢であろう顔がどうとか橘はほざいていたが、私はすべて無視することにした。この騒ぎの元凶を作り出した奴の発言権は認めるつもりはない。 さて、どうしたものか。これから私の受け持つ生徒全員にこの事実を伝えなければならない。私が理不尽だと感じたと同様、彼らも同じ気持ちになるだろう。これをどうなだめるかが当初の課題であった。
『その割には随分と色気のない様子なんだけれど・・・』 『おわっ、橋本、力入れすぎや。そんなに体重かけよると、下の加藤が潰れるで!』 『・・・村上、声大きいよ。バレるって。』
私は立ち上がり、視界からそれるよう迂回して出来るだけ足音をたてないように入り口のドア中央まで近づく。そして間髪いれず、引き戸を最大まで一気に開けた。
「あ、あはは。こんちわ〜先生、なーんて・・・・・・。」 目が合って気まずさを感じたのか、橋本こと優ちゃんの言葉は語尾が小さくなってゆく。 「盗み聞きとは、またずいぶん奥ゆかしい事やんのねぇ。」 わざと愛想の良い笑顔を作り、目の前の4人の生徒たちに向かって言葉をかけてやった。状況を把握しきれてなかった男子たちも、私の顔を見て表情を凍りつかせる。 「げっ。・・・と、わざとじゃないねんて!俺らそろそろ授業やから教室は入ろうとしたら、先生と橘が話してて、邪魔しとうないから様子みててん。・・・なぁ、加藤?」 「え、そこで俺に話振ってくるの?!最初に面白がっていたのは橋本じゃんか。」 「変なこと言わないでよね!真帆ちゃんもデバガメに乗り気だったんだから!!優だけじゃないもん!!」 「・・・橋本さん、それフォローになってないわよ・・・。」 立ち聞きしていた男女4名は、お互いに責任転嫁しながら面白いほどにペラペラと事情を話してくれる。おかげで大体のことは飲み込めた。 「まぁいいわ、とりあえず中に入って。これから大切な事を話さないといけないから。」 私は手で中に入るようにと指示を送り、彼らを教室の中に引き入れた。生徒達はめいめい自分のお気に入りの席につく。
「まずはどこまで聞いていたのかよね・・・長谷川さん、事情は分かった?」 私はまず、一番冷静そうな生徒を指名した。肩につくかつかないか位である黒髪のショートボブが印象的な知的少女は、眼鏡のズレを直しつつその場に起立した。 「確か、橘君の元家庭教師の女子大生がここに文句言ってきてゴネたって話だったかと思います。」 彼女らしい、実に的確な答えである。私は鷹揚に頷いた。 「そのとーり。ただその後が問題でね、私たちにものごっつい災難が降りかかっているわけだけれども、その災難について説明しないといけないんだわ。」 そう言って私はため息を漏らす。正直、その先は考えたくはなかった。 「先生、災難ってどんなことですか?」 不安そうに加藤が聞いてくる。この、何の罪もない生徒達を見ていると心が痛んだ。
「ええっーーーーーーーーーーー!?」
「先生、本当に『橘の親』に報告すると、そう言ったんですか!?」 いきなり席を立ち、前のめりになりながら私に詰問してくる。 「ええ、確かにそう言ったはず。」 「マズイですよ!!それだけは絶対に回避しないと!!」 いつもは大人しく礼儀正しい加藤の、驚くべき豹変だった。思わず私は質問し返した。 「何がそんなにマズイの?」 真剣な表情のまま、加藤はとんでもない言葉を口にした。
「でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
その橘当人はきまりが悪そうに顔を歪ませ、ため息をついた後俯いたまま口を開いた。
しばらく沈黙が続いたが、この状況が我慢できなくなった楽天家の村上がふいに立ち上がった。 「なぁ先生、こんな辛気臭うしててもしょうがない。橘も一種の被害者みたいやし、大体、なんでそんな胡散臭い女がいきなり文句なんか言いに来たんや?もう関係ないんやろ?」 ――話を聞いていなかったのか、村上よ。 どうやら橘以外の生徒達は、事情をすべて飲み込めたわけではないらしい。私は少し間を置いて、現実というものを教えることにした。
『痴情のもつれかよっ!!』
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