その日の夕刻、私は橘を校内放送で呼び出した。勿論場所は、いつもの第二自習室である。 私と橘とのやりとりは既に噂に上っているようだが、そんな事は構ってはいられない。来月の給料がかかっているのもあり、私は必死だった。 待つこと10分弱、橘が現れた。学生にしては素早い対応である。
「相変わらず勝手な事を・・・寝言は寝てから言いなさい。今日は貴方に聞きたい事があって呼び出したのよ。」 「俺はいつでも正気なんですがね。先生が冷たいだけでしょう?」 「・・・悪い、今は冗談に付き合っている余裕ないんだわ。早速本題に移らせてくれる?」 「やれやれ、人の真摯な想いを冗談扱いですか。」 橘はため息をつきつつ、教壇に近い席の椅子へと座り込む。それを確認して、教壇近くにいた私は身を乗り出した。
「彼女が何かしましたか?」 「何かしたから聞いているのよ。彼女、今日ここに来たの。」 「はぁ?何でまた。」 「それはこっちが聞きたいわ!あんた、彼女の家庭教師の授業休んでたんだってね。それ自体は私達には関係のない話なんだけど、一ヶ月ちょっと前、誰かさんが素晴らしい成績残したおかげでこっちに苦情が来たんだよ。」 「まぁ向こうから見たら、俺はここに入り浸っていたわけだから予備校側の不手際だと思いますよねぇ。」 少し考え込むような様子で、橘は答える。 「納得すんな!!そのお陰で、今この予備校大変なことになってるのよ?クラスの実力みせないとあんたの親に文句言うとか何とか言ってたし!!」 「それはまた強引な。断ればいいじゃないですか。彼女、もう部外者ですし。」 「それが出来るなら苦労はしない・・・って、ちょっと待って、今なんて?」 興奮のあまり聞き逃しそうになったが、確かに私は忘れてはならない言葉を聴いた。
「どんな触れ込みでここに来たのかは知りませんが、彼女はもう俺の家庭教師ではありませんよ。俺が断りましたから。」 「・・・どういうこと?」 「言葉そのままですよ。今の彼女が俺に干渉する権利なんてないはずです。」 橘の言葉が嘘だとは思えなかった。彼の視線はまっすぐに私のほうを向いていて、やましい素振りなど見えない。 私は教壇から降り、橘の席の横にしゃがみ込む。そして彼の腕を握り、顔を見上げた。
「勿論ですよ、俺はずっと先生一筋ですから。」
私は怒り任せに、橘の手のひらをつねってやった。
橘は声にならない呻きをあげるが、私はあえて無視して話を続ける。 「ただね、その神田さんとてつもない場所のお嬢様らしくて、無下に機嫌損ねるわけにもいかないらしいんだわ。」 私の頭の中で、先ほどの応接室のやりとりが展開された。今思い出してもうんざりしてしまう。 「でしょうね。彼女、『神田塾』を背景に何をやらかすか分かったものではありませんし。」 憎らしいほど涼しい顔のままで橘は答える。ただ、何かを考えながら、少しずつ言葉を選んでいる節はあった。 それにしても、何故かれはそんなに神田恵美の事に詳しいのだろうか。私も家庭教師をやった経験があるが、そんなにディープな付き合いはしなかった気がする。 ――もしかして・・・?
主任の言葉を思い出し、私は当たる確立7割のハッタリをかましてみる。
「やっぱり貴様のせいかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
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