「きょ、共同生活って・・・何の合宿よ?」 引きつった笑みを浮かべて、翡翠は問い返す。いろいろケースは考えられるだろうが、彼女としては一番最悪な場合は考えたくなかった。だが。 「合宿なぞではございません。鴇人様、和孝様、渚様と共にこちらで寝食をしていただくのでございます。」 「期間は?」 「ずっと、でございます。」 千吉良はそう説明して頭を垂れた。 自分の悲劇とも言える生い立ちを明かされ、哀愁に浸る暇もなく今日見知った男子と同居させられる手筈となっていようとは。納得しろと言われても翡翠としては承服しかねる部分があった。 「ちょっと待って。一応確認しておくけれど、私の性別は知ってるよね?」 「勿論でございます。いかに外見がショタコン臭い少年であっても、翡翠様が淑女であるのはもとより承知・・・うぐっ!!」 千吉良の不遜な言葉は、翡翠が無言のまま彼の首元にアイアンクローをかけたことにより中断された。 「これだけ非常識なプラン考えておいて、皆が承知すると思っているの?!」 しばらく千吉良の首は上下に振られ、ほどなくして解放された。翡翠の立腹ぶりとは対照的に、三人は傍観者を気取っている。 「あなたたちも、このオッサンに何か言ってやってよ!」 ふいに話を振られた和孝が、見下す姿勢で前髪をかきわけながらもこう言ってのけた。
「承知済みかよ!!」
「・・・ねぇ、冷静になって考えて。いくらなんでも先生付きとは言え若い男女が同居っていうのは世間体的にも良くないと思わない?」 「世間体よりも先に翡翠が無事であることのほうが重要だ。」 諭すような口調で訴えるものの、相手には理解してもらえないようである。小一時間ほど話し合いをした結果、結局は翡翠が折れる形となり引越しの準備にとりかかった。
「・・・ばあちゃん、今なんかとんでもないことになっちゃったよ。」 そう言って、仏壇の写真のほうへ向き直る。 「ねぇ、当主って何?私って、結局何者なの?」 言えば言うほど虚しさが込み上げてきた。涙目になりながらも、少女は一人問答を続ける。 「ばあちゃん、私は・・・」 ふいのドアのノック音で少女の言葉は途切れた。翡翠は立ち上がりドアを開ける。 「よう、嬢ちゃん元気か?・・・・・・と、元気そうにないな。」 来客は和孝だった。二人分のコーヒーと茶菓子を持参した彼は、翡翠の目の潤みに気づいてふっと苦笑してみせる。 「入っていいか?いろいろあって疲れたろ。コーヒー持ってきたから一緒に飲もうや。」 翡翠はからっぽの片手の袖で涙を拭い、相手を部屋の中に通す。 「お、久しぶりのばーさまの顔だな。仏壇もここに置いたっけ。」 「・・・ばあちゃんを知ってるの?」 少女は無気力そうに尋ねるが、その言葉にいつもの威勢は見られない。和孝は、学習机にコーヒーと茶菓子を置き、仏壇の前に腰を下ろした。
「強烈?ばあちゃんって、朗らかだけど穏やかな人だったよ?」 「穏やか?!ありえねー!!ババァ、自分の孫に猫かぶってやがったな。」 自分の祖母をババァ扱いされて翡翠としては少し憤りを感じたが、和孝の言葉には興味を持った。 祖母には自分の知らない面がある、それだけは確かだった。 「ねぇ、和孝さんにとってばあちゃんはどういう人だったの?」 そう言って、翡翠は和孝の隣にひざを抱えて座り込む。
「それ言わないでください。むしょうに殴りたくなるから。」 翡翠は間髪入れず答えた。 「それは勘弁して欲しいな。そうだ、『和孝兄さん』なんてどうよ?」 「その歳でもう妹萌えですか。部屋にアニメのポスターとか張るのやめてくださいね。」 「・・・俺としては、『妹萌え』という言葉を知ってる嬢ちゃんもどうかと思うが・・・。」
「俺達には厳しかったね。あのばーさまが当主だった時期には、いつも三つ指ついて挨拶しに行ったもんだよ。いや冗談抜きで。」 「当主?ばあちゃん、当主だったの!?」 翡翠の瞳が見開かれる。 「・・・ばあちゃんが死んでしまったから、私が当主にされたの?」 「いや、厳密には違うと思う。一旦は晶様が当主だった筈だし。」 翡翠にとっては意味の分からないことだらけだった。彼女の知っている祖母は、韓国ドラマを入念にチェックするような庶民的な老婆である。 「あー、順序立てて説明するとだな、嬢ちゃんのばあちゃんは、九曜家の当主を長年やってきていたわけよ。んで、嬢ちゃんが生まれる前に実の娘である晶様に当主を譲ったんだけれども、晶様はどうも体が弱くてな。当主の任を任すには不適切だと判断したばーさまが、当主の権利を再び自分に戻したんだわ。そうしたら今度は、晶様が嬢ちゃんを産んだ。」 九曜家のすざましさについては先程聞いたばかりだ。その当主を長年やるというのは、どれだけの力を必要とするのだろうか。翡翠の頭にはそんな思いがふと浮かんだ。 「嬢ちゃんに素質ありと見込んだばーさまは、今度は家督全てを嬢ちゃんに譲った。まぁ、俺の知っている範囲ではこういう話になってる。」 そう言って和孝は自分のコーヒーに口をつけた。 「え、でも私、そんなもん譲られた覚えはないよ?ばあちゃん何も言わなかったし。」 「みたいだな。指輪だけ譲っておいて何も説明しないまま逝っちまうなんざ、詐欺もいいとこだ。同情するよ。」 「いやそんな、ドライな同情されても。」 思わず返してしまう翡翠であったが、自分の右手薬指にはめられている指輪に視線を移した。 「確かに、これはばあちゃんが亡くなるちょっと前にもらったものだけど・・・。」 「それは、当主の証みたいなもんだ。もっと重要な意味はあるけどな。・・・嬢ちゃん、ゆっくり考えてみ、自分が本当に当主であるべきかどうかを。」 穏やかにそう言い聞かせた後、和孝は自分のコーヒーを全部飲み干した。 「じゃあ俺、自分の部屋に帰るわ。」 言うが早く、空のマグカップを持ったまま立ち上がる。
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