途中、『運転者が首を絞められる』というアクシデントはあったものの、リムジンは無事壊されている家屋の隣にある、少し洒落た洋館の前に停まった。左右の棟に支えられているような門構えのその館は、一見文化財かと思われる程のクラシックな佇まいであった。車を降りた面々は、学校帰りの格好のまま家に入る。

 歴史を感じさせる家の廊下をひたひたと歩いてゆく。千吉良に案内され、通された場所は十人居ても充分広いダイニングルームだった。

「どこの金持ちの建物かと思っていたけど・・・よもや親族の所有物とはね。」

 廊下から天井まで順々に眺めながら、翡翠がこぼす。



「この建物は昔から九曜の別荘ですからな。当主様、世帯主は貴女です。」

「はい?私ぃ!?」



 千吉良の説明に思わず間抜けな声を上げてしまった翡翠だが、すぐに頭を横に振った。

「い、いや。今のナシ。さっきの言葉は撤回するから。」

「心配しなくても、貴女を当主だと認めていないのは貴女自身だけですから。」

 今度は鴇人が突っ込みを入れる。おのおのが千吉良に言われるがまま、指定された席に座る。勿論上座は翡翠の席である。

「さぁて、何も知らずにこんな場所まで拉致られた訳ですけれども。」

 彼女は体を前へ傾け、広い西洋風の円卓に肘をついて指を組んだ。自分から着いてきた事実はとりあえず棚上げされているようである。

「いろいろ吐いてもらいましょうか。ますは、この『九曜家』とは何者なのか。」

 そう言って翡翠は千吉良のほうへ視線を動かした。促されたまま、千吉良は説明をはじめる。



「九曜家とは、人の内包する魂を浄化できる唯一無二の存在なのです。」



 ――魂を、浄化?

 翡翠には、何を言われているのか意味が分からなかった。大体、人の魂という概念のような存在に、不浄かどうか判断する基準がどこにあるのだろうか。

「随分と傲慢だな。」

 和孝がぽつりと呟く。

「そうかもしれません。しかし我々がその性を受けて生まれた以上、定めに従うべきではありませんかな、和孝殿。」

「はいはい、また神に選ばれたとか言うんだろ?勘弁してよ。」

「千吉良さん、和孝君、話を反らさないように。翡翠さんが混乱します。」

 二人の会話に鴇人が割って入る。そんなこと言われる前から混乱していたのではあるが。

「当主様、では・・・」

「だから当主じゃないって。」

「・・・では翡翠様、お分かりになられましたか?」

「全然。」

 翡翠は竹を割ったように言い放つ。それでも千吉良は動じることなく続けた。

「そうですね、今まで普通人の生活を送っていた翡翠様にとっては、理解しがたい話かもしれません。」

「そうね、少なくとも千吉良さんほど壊れた生活はしてなかっとは思う。」

「・・・・・・。」

 居心地の悪さを嫌味で返した翡翠は、用意された紅茶に口をつける。同じく連れてこられた3人は様子を見ていたが、いたたまれなくなったのか鴇人が口を開いた。



「・・・九曜家は、代々強い言霊を持つ者が生まれる家系なんですよ。」



 静かだが、力強い言葉だった。鴇人の瞳が、憂いを見せる。

「言霊?」

「そう、言霊。昔から言われているでしょう?言葉には魂が宿っていると。」

 翡翠は考え込む。確かに言霊という言葉は聞いたことがあるし、魂を抜かれるから本当に名づけられた名前は他人には明かさないというのは地方伝承ではわりとある話である。

「そういうのは聞いたことがないといえば嘘になるけど、『強い言霊を持つ』っていうのはどういうこと?言霊って、言葉自身に力があるんじゃないの?」

 彼女はありったけの疑問をぶつけるつもりだった。自分が特別扱いされる、その根拠を知りたいからだ。

「そうですね、翡翠さんの仰る通り、言霊とは言葉自身に宿る魂のことです。ですが、その『魂』を活かせるかどうかは話が別なんですよ。」

 言葉を選ぶよう間を置きながら、鴇人は語り続ける。

「現在、殆どの人は言葉自身の持つ『魂』の力を知りません。また、それを使う術を持たない。しかしこの九曜家だけは、先天的に『魂』の力を引き出せる能力を持った人間が生まれることがあるのです。」

「『魂』の力を引き出すってのはどういうことなの?想像つかないよ。」

 思案顔の翡翠の抗議に、和孝の言葉が割って入ってきた。



「要するに、相手に向かって『死ね』と言ったら、本当に死なせることが出来るんだよ。」



 翡翠の全身に大きな衝撃が走る。上から冷や水をかけられた気分とは、このような状態を言うのだろう。

「和孝君!!・・・言葉はもっと選んでください。」

 鴇人が注意を促すが、和孝は意に介さない。

「でも言ってることは同じだろ?回りくどいんだよ、あんたや千吉良さんの言い方は。」

「しかし、心の準備というものが・・・」



「・・・・・・ねぇ、もしかして、その力を持っているのが私だと言うこと?」



 翡翠の声は震えていた。知りたい心と知りたくない心が、彼女の中で交差する。

「だからみんなが当主だと呼ぶの?私を特別扱いするの?死にたくないから?力を独占したいから?!」

「翡翠さん!!落ち着いてください!!」

 興奮して立ち上がった翡翠を鴇人が抱きかかえるようにしてなだめる。しかし、少女の叫びは止まらない。

「私に近づいたのも、その力を利用するため?!従兄妹とか何とか言っておいて、結局道具にするつもりなんじゃないの!!」

「翡翠様、それは・・・」

「違う。」

 鴇人に抑えられながらも泣き叫ぶ彼女を止めたのは、渚の一言だった。



「俺は翡翠を守るためにここに居る。」



 いつもの彼とは思えない、声色の強い一言だった。その言葉を聞いて、翡翠は力をなくしたように椅子の上にへたり込む。

「俺じゃなくて、俺達は、だろーが。自分だけいい所を持っていくな。」

 和孝が渚の顔を見ながらニヤリと笑う。渚は和孝を一瞥した後、翡翠のほうへ視線を向けた。

「・・・翡翠さん、今すぐ信じろとはいえませんが・・・。」

 鴇人が落ち着いた様子で、翡翠の頭を撫でた。



「安心してください、僕達はいつも翡翠さんの傍にいますよ。」



 その言葉を聞いて、また翡翠の瞳から一筋の涙が零れる。その雫は拭われることなく、彼女の膝へ落ちていった。

「いつもって言ったって、みんなそれぞれ帰る場所があるんだから無理じゃん。」

 腕で涙を拭いた翡翠が上を見上げると、何故か鴇人の隣には千吉良の姿があった。



「そこの所に抜かりはございません。これから毎日、皆様にはここで共同生活して頂きますので。」

「なんですとぉぉぉぉぉぉぉ!?」



 今までの哀愁なぞぶっ飛んだ翡翠の絶叫は館中にこだましていた。




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