校門をくぐった先には、一台の黒塗りリムジンが停まっていた。



「すいません、これは新手の誘拐でしょうか?」



 中核都市に建てられた住宅街にとって不釣合いなそれを見て、思わずざっくり言い放つ翡翠であった。下校中の保護者つきの生徒や、彼らを勧誘する運動系クラブの部員が、異質なものを見る目でリムジンを遠巻きに見ている。

「とんでもございません。こちらは九曜家御用達の送迎車でございます。」

 生暖かい視線に臆することなく千吉良が説明した。

「じゃあアレですか?貴方実は消費者金融の督促か何かで私を訪ねてきたとか。ウチは金持ちではありませんが、いかがわしい借金をした覚えはありませんよ。」

「・・・千吉良さん、もう少しTPOを考えた車を選んだほうが良いかと。」

 地味に千吉良と距離を置いていた鴇人だが、軽くため息をついた後に微妙なフォローを入れる。他の二人も無言のまま、千吉良との距離を取りつつあった。

「何を申します、鴇人殿!九曜家の守役として粗相のないようにこの千吉良、ご当主様をお迎えに参った次第でございますぞ!!」

「あんたの行動自体が粗相なんだよ。ほら話進まないから乗った乗った。」

 冷ややかに突っ込んだ和孝が急かすようにドアを開ける。早くも付いていくのを後悔しかけた翡翠であったが、和孝のエスコートに任せたままリムジンに乗り込んだ。



「さて、どこからお答えしましょうか?翡翠さん。」

 数分ほど車を走らせた後、助手席に乗っていた鴇人が後ろのVIP席に座る翡翠に向かって声をかけた。ちなみに運転手は千吉良である。

「・・・とは言っても、簡単なものしか答えられられませんが。」

「簡単なものとか言われても、質問したいことは満載ですよ。今の状況も訳わかりませんし。どうして拉致られているんですか?私。」

「そこから来ますか。まぁ、それが普通の人の反応でしょうけれど。」

 バックミラー越しに、鴇人は苦笑いする。



「それはね、九曜家の当主の『力』を私利私欲に利用しようとする輩がいるからですよ。」



 穏やかな言葉の中に冷たい牙が潜んでいるようだった。少なくとも、翡翠はそう感じ取った。両隣にいる渚と和孝も、表情を引き締める。

「いやだから、私は当主でもなければ何の力も持っていませんが。」

「自覚がないだけですよ。だから自然に覚醒するまでは僕達が守る必要があるんです。」

 無表情のまま、鴇人は静かに語る。

「先生さー、この嬢ちゃん本気で何も知らないんでない?なら理詰めで説明しても理解できないって。」

 そう言って、和孝はバックシートに体を預けた。渚は何も言わないまま、流れる窓辺の景色を眺めている。

「・・・ここで『先生』と呼ぶのは止めてください。今ここにいるのは、九曜家の唄守である九曜鴇人ですから。」

 翡翠の知らない単語が次々と出てくる。他所の家にいるようで、彼女にとってはどうも居心地が悪かった。それはこの、座り慣れない革張りのシートのせいだけではないだろう。



「では翡翠さん、唐突ですが晶(あきら)様はお元気ですか?」



 翡翠はとっさに肩をびくりと震わせた。先ほどはじめて会ったばかりの社会科の先生が、何故面識もないはずの自分の母の名前を知りうるのだろうか。

 ここにいる人間は、自分の知らない九曜を知っている。その事実が彼女にとっては怖かった。

「今は病院に入院中ですが・・・何故母を知っているんですか?」

 抑えきれない警戒心が、発言の中に滲み出る。



「そりゃあ、盆暮れ正月には小さい頃からお世話になりましたから。」

「はいぃ!?」



 鴇人の意外な答えに、思わず間抜けな声をあげてしまう翡翠であった。

「覚えてないのかよ?盆にはよく一緒にカブトムシ取りに行っただろうが。記憶力悪いの?嬢ちゃん。」

「ちょ、ちょっと待って。もしかして九曜って、あなた達もしかして私の・・・」



『そう、従兄弟。』



 意図せず和孝と鴇人の言葉が重なる。

 正直な話、翡翠はそんな遠い日の思い出なぞきれいさっぱり忘れてしまっていた。母は入院、父、祖父母は他界という家庭環境の中で必死に生きてきた彼女にとって、思い出に浸る暇など無かったのである。

「その様子だと本気で忘れてたぽいな、ちょっとショック。」

「ええ、すっきりさっぱり忘れてました。今でも思い出せません。」

「・・・・・・。」

 和孝に返した翡翠の返答に、渚が表情を曇らせる。その変化に気づいた翡翠は、フォローに回るべく言葉を続けた。

「待ってね、今思い出してみるから。」

「・・・もう、いい。」

 そう言って渚は、また窓辺に視線を投げる。

「スネるなよ、もうすぐ着くんだから・・・ホレ見ろ、あれが目的地だ。」

 そう言って和孝は車の前方を指さす。そこでは、恐らく新築であろう清楚な佇まいの住宅が一棟あり、その隣ではブルドーザーが古い日本家屋を取り壊していた。身を乗り出してその光景を目の当たりにした翡翠が、完全に硬直する。



「いぃーーーーーやぁーーーーーー!!私の家がぁぁーーーーーー!!」



 殆ど半泣き状態で彼女が絶叫する。その叫びが車中にこだました。無理もない、壊されていた建物は、学校へ通学するほんの数時間前まで彼女が生活していた住まいだったのだから。

「嬢ちゃん、車の中で叫ぶのはやめろ!!」

 隣で耳を塞いだ和孝が注意を促す。

「じゃあ自分の実家がいきなり壊されているのに黙って見てろってか?!」

 半狂乱になった翡翠は、近くにいた渚を揺り動かす。渚もまた、無言のまま耳を手で覆っていた。

「翡翠さん、相手が違います!!」

「相手なんてどーでもいいの!!責任者どこ!?」

「・・・申し遅れながら、これはわたくしの指示でございます。」

 今まで別人のように押し黙っていた千吉良が、バックミラーで翡翠の怒りぶりを見ながらおずおずと口を開いた。

「ほほう、千吉良さん。あんた人の家壊しておいて事後報告ですか。」

 翡翠は、完全に目が座った状態で相手へ振り向く。

「いえ、本来ならばあそこは御前様の生家。そのままの状態で保存しておくべきことは存じておりました。しかし・・・」

 千吉良は言葉をためらいながらも、翡翠の様子を見つつ続けた。



「あまりにも老化が進んでおりましたので、ご当主様がお帰りになる前にリフォームを。」



 この後、翡翠は無言のまま千吉良の首を絞めにかかったが、誰も止めるものはいなかった。




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