職員室は、校舎の表玄関のほぼ隣に位置している。不幸な事故が立て続けに起こったためか、いつも以上に玄関へと続く廊下は慌しくなっていた。翡翠は少し人の波をかき分けつつ、目的場所にたどり着いた。 「失礼します。」 一言ことわってから、引き戸を開ける。すると、すぐ左側の来客用ソファーに貫禄のある中年男性が深く腰掛けていた。ソファーの傍には先ほど見かけた茶髪の男子生徒と柔和な雰囲気の先生とおぼしき若い男性、それに何度か翡翠に干渉してきた美少年ストーカーが無言のまま立っている。
「九曜翡翠です。・・・はじめまして。」 思い浮かぶ言葉がなかったので、当たり障りのない挨拶をしておく。すると中年男性をはじめとした男性陣が一斉にこちらを向いた。翡翠を見て柔らかに微笑んだメガネの先生がはじめに口を開く。
「あ、はい。よろしくお願いします。」 目を合わされると恥ずかしくなり、誤魔化すのも兼ねて深々とお辞儀をした。その様子をまじまじと見ていた2人の生徒のうちの一人が、頭を下げたままの翡翠に突然抱きついた。彼女はとっさに頭を上げたが、避けきれずに抱きつかれたまま暫く硬直した。
そのとき、横から二人の間を割るように腕が入ってきて男子生徒のほうを突き放す。泣きたい気分だった翡翠から男子生徒を引き剥がしたのは、あの美形のストーカーだった。 「ほほぅ、コイツが例の『守護』ってわけだ。」 突き放された茶髪の男子生徒は、心底楽しそうに彼を見つつ話しかけた。一方、もう一人の男子生徒は軽口を叩いている相手を無言で睨んでいる。 「あんまり尖るなよ、俺たちも同じ穴の狢だろ?悪かったな嬢ちゃん。俺は九曜和孝。嬢ちゃん達とは一つ先輩かな。」 そう言って翡翠の頭を撫でた。翡翠は恐る恐る和孝を見上げる。確かに甘いマスクの、いかにもモテそうな茶髪のタレ目兄ちゃんだった。ちらりと覗く銀のピアスの趣味も悪くない。 「なぁ『守護』君。お前さんも自己紹介くらいした方がいいんでない?同じクラスメイトなんだし。」 なおも睨み続ける少年に向かって、和孝はからかう調子で言った。
「・・・九曜渚。今年からこの学校に入ってきた。」 少年はぽつりぽつりとつぶやく。 「そんなこたぁ分かってるよ。ホラ、趣味や特技とか、『よろしく』とか挨拶があるだろ?」 切れ切れの単語しか話さない渚に向かって、呆れたようにため息をついた和孝が進言する。翡翠を除いた2人の大人たちは、事の成り行きを見守っているようだった。 「・・・じゃあ、よろしく。」 眉一つ動かすことなく、無表情のまま渚が答えた。翡翠からは視線を逸らされたままだったが、少しはにかんだ様子が見てとれる。今までストーカーとしてしか見てなかった翡翠は、彼を見て微笑んだ。 一通り自己紹介が終わったところで、先ほどからずっと若者たちの様子をうかがっていた来客が立ち上がって、彼らに近づいていく。2、3歩進んだところで、彼は少女に向かって深々と頭をたれた。 「はじめまして、当主様。わたくし、世話役の千吉良と申します。」
「どうやらご存知なかったようですね。安心なさってください。この千吉良、責任をもって当主様を導いて・・・」 「ちょっと待って!」 勝手に話を進める千吉良に対し、翡翠は待ったをかけた。 「当主って何ですか?てか、世話役って一体あなたは何者なんですか?!」 慌てて並び立てた少女の言葉を聞いて、残り3人の九曜は意外そうに顔を見合わせた。
「何しやがる!?」 攻撃を受けた腹部を押さえながら、和孝が抗議する。 「当主に向かって『お前』とは何ですか。礼儀を知りなさい。」 「・・・・・・。」 和孝も何か言い返そうと思ったが、二人の無言の圧力を感じ、言葉を飲み込んだ。一方、千吉良は二人の言動にはあえて触れずに翡翠に話しかける。 「・・・解りました。では当主様にはより深く九曜を理解していただくために、納得のいくまでご説明させていただきましょう。ここでは憚られますので、場所を変えます。皆様準備はよろしいですよね?」 翡翠を覗いた3人の九曜は、おのおの頷く。 「待って待って!!私が当主とか何とか、いろいろ話が勝手に進んでいるけど誰か人違いじゃあ・・・」 「人違いはありえませんよ。」 話の流れを静止しようとした翡翠に対して、鴇人が答える。
「これはただ、おばあちゃんの形見でもらっただけ。それ以外は聞いてないよ。」 「その事実だけで十分です。あとは千吉良さんのお話を聞きましょう。」 「先生!でも私まだ学校が・・・」 「もうとっくに下校時間ですよ?ホームルームは終わっているはずですが。」 言われるままに職員室の時計を確認する。確かに下校時間に入っていた。 「まぁまぁ、嬢ちゃん。警戒するのは分かるけど、俺たちついているから安心しときなよ。いざとなったら、あの渚君が助けてくれるから。」 そう言われると、翡翠としては余計心配である。だが。
「分かりました。私も連れてってください、千吉良さん。」 そう答えた少女は、男たちの後をついて学校を出たのであった。
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