その後、学校側と警察側で一悶着あったものの、入学式はほぼ滞りなく行われた。おざなりな行事を終えて、翡翠が新しく通うクラスへ向かう途中のことである。

「九曜さん、九曜翡翠さんよね?」

 振り返ると、穏やかな笑顔が印象的な中年女性が居た。まさにマダムと呼ぶに相応しいオーラを放っている。

「はい・・・何か?」

 初対面だし先程見知らぬ少年に注意を促されたのも加わって、少し警戒気味に返事をした。

「あら、緊張しなくてもいいのよ。私は両角柘榴(もろずみ ざくろ)、貴女方の学年の漢文を担当することになったの。」

「あ、すいません先程は失礼を。」

 どこかの怪しい人物でもなく保護者でもないと分かった翡翠は、必死に謝る。

「気にしないで、後ろから声をかける私も悪いしね。さっき声をかけたのは、奨学金について相談があったからなのよ。」

 母が病床の上、父に続いて育ての親である祖父母も他界。このような身の上の翡翠にとっては、奨学金獲得は死活問題だった。微々たる公共の資金援助ではとうてい学校なんぞには通えないからだ。

「ではクラスのHRが終わったら3階の進路相談室まで来て頂戴ね。いろいろと資料もあるから。」

「はい、わかりました。必ず・・・」

 言葉も終わらないうちに、翡翠は思い切り肩を後ろに引き寄せられた。そして、両角と翡翠が3mほど離れた所で、男子生徒が中に割って入ってくる。



「あ、あなたさっきの助けてくれた人!!」

「・・・俺は気をつけろと言ったはずだ。」

 そういって少年は翡翠を睨む。そして次に、両角へ目線を移す。

「あのー・・・気をつけろって、何を?」

 彼の言うことは本当に訳が分からない。質問したにも関わらず質問とは関係ない答えが返ってくるし、先程のように突飛な行動をするからだ。翡翠は内心冷や汗をかきつつ、事の成り行きを見守る事にした。



「この女も、お前を狙っている刺客かもしれない。」



 少年のこの言葉を聞いて、一瞬場が凍った。



 ――狙うって何を?刺客ってどんな?もしかしてコイツ電波系!?



 出来れば関わりあいたくないような生暖かい視線で男子生徒を見ながら、翡翠は心の中で絶叫していた。一方、両角は滑稽とばかりに失笑をもらした。



「・・・なかなか楽しい子ね。何が理由で九曜さんを狙わないといけないのか知らないけれど、私はただ奨学金の話をしていただけよ?」

「話の内容など関係ない。翡翠をあんたと二人きりにしておく事に問題がある。」



 少年は臆面もなく言い切った。当の本人、翡翠は穴があったら入りたいくらい恥ずかしくなってくる。周りのギャラリーがこっちに注目しだしたからだ。

「まぁ、素敵なナイト様だこと。生憎私は刺客でも何でもないしがない教師だから、退散しておくわ。九曜さん、じゃあ奨学金の件よろしくね。」

「あ、はい。本当にすいませんでした!」

 くすくすと笑いながら、両角は廊下を通り過ぎてゆく。翡翠は先生に対して平謝りしながら、先生が視界から消えるや否やあの男子生徒にくってかかった。



「何てことしてくれるの?!ウチはね、お宅のような普通の家庭とは違って、奨学金もらえるかもらえないかで人生変わっちゃうのよ?さっき助けてくれたのは有り難かったけど、私の邪魔だけはしないでよ!!」

「・・・・・・。」



 周りのメンツに聞こえないように音量を絞りながらも、殺気をみなぎらせて翡翠は文句を叩きつける。だがこの少年は、眉をぴくりとも動かさず無表情のままで答えた。



「行くなよ、どういう罠が待っているか分からないからな。」

「行くに決まっているでしょう!?大体罠って何?あんた何者よ!?」



 翡翠には分からない事だらけだった。今シメ上げている男子生徒は狙うだの刺客だの罠だの、非現実的にも甚だしい言動をしてくる。心配してくれているのかどうかは分からないが、彼のストーカー的言動は翡翠にとってはいい迷惑だった。

「死にたくなかったら、もっと慎重に他人に接しろという事だ。」

 そう言って少年は彼女の手を払いのけ、そのまま翡翠とは逆の方向へ歩いてゆく。何も分からず翻弄される形となった少女は、その後ろ姿を呆然と眺めていた。





 一方、校舎1階突き当たり音楽準備室――

 行事ごとの日には全く使われないこの部屋には、奇抜なカッティングのレザージャケットにジーパンを身に纏った若い男が一人、携帯電話を片手に何か話をしていた。



「・・・で、あいつは大丈夫なのか?」

『彼女自身には問題ないわ。ただね・・・』

「ただ?」

『九曜の手のものがもう根回しを利かせている。まぁたかが学生に出来る事なんて知れているけれど。』

「もう失敗するなよ。あんたの尻拭いなんて御免だ。」

『あら、貴方たちには言われたくないわ。人殺しって怖いわね。』

「・・・・・・。」

『まぁ今までの過程で問題はないわ。・・・・・・気になるの?九曜君。』

「その名前で呼ぶな!!」



 男はそう怒鳴りつけると一方的に電話を切った。

 多少感情的になっていたかもしれない。だが、ただ手に入れたいのは情報だけであり、雑談に付き合ってやる程お人良しではなかった。

 ――外部の人間は、信用できない。

 男はそう考えながら、窓をあけそこから外へ抜け出す。



「あんたに恨みはないが、九曜は許せないのでね・・・悪く思うなよ、当主様。」



 ぽつりと呟いた後、黒ずくめの男は校舎を後にしたのであった。




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