『さーくーらー、さーくーらー、ほーこーろーぶ、つーぼーみぃー・・・おばあちゃん、この次なんだっけ?』

『この歌はさくらの歌ではないじゃろう?』

『さくらのお歌だよー。おばあちゃんいつも翡翠にお歌うたってくれた。今日もお歌うたって!!』

『・・・翡翠、この唄は好きかい?』

『うん、翡翠大好き!!だからお歌うたって!!』

『分かった。・・・・・・でもね、翡翠。一つだけ約束しておくれ。』

『お約束?なあに?』



『この唄は、他の人の前で唄ってはいけないよ。』



『どうしてぇ?』



『この唄は・・・唄ってはいけない唄だから。時が来るまでは・・・・・・』





ジリリリリリリリリリリリリリリッ

 機械仕掛けの鐘の音が板の間に鳴り響く。目覚まし時計の傍で布団に包まっている物体はもぞもぞと動き出し、布団の中からにゅっと手が出て来て鐘と槌の間に指を入れた。それでも小さな槌は、鐘と指の間を往復し耳障りな音を止めようとしない。しびれを切らした指の方がむんずと時計をつかみ取り、手探りでスイッチをオフにした。

「うーわー、ろくにご飯食べる時間もありゃしない。」

 布団から這い出た少女は、目をこすりながら時計の針を見てそう漏らした。

「それにしてもあの夢はなんなんだろう・・・最近毎日見てる気がする。」



 ――小さい頃の、さくらのわらべ唄。



 確かに憶えているけれど、風が吹けば散ってしまう程あやふやな記憶だった。それがここ数日、毎日のように夢に再現される。そして最後に必ず口止めされるのだ。そこで目が覚める・・・まるでメッセージのように。

 しかしそんな夢分析に浸っている暇はない。寝癖のついた髪を直す暇もなく、布団を片付けて台所へ走る。



「ばーちゃん、おはよう!」



 台所に入ったが一番、彼女は挨拶したが返事はない。炊事場でネギを切る音もなければ居間のテレビの会話も聞こえない。ただ障子越しに朝日が食卓を照らすだけだった。



「・・・そうだったよね。いつまで寝ぼけているんだろ、私。」



 自嘲気味に微笑んだ少女は、居間の隣にある畳部屋の片隅にある仏壇の前に座った。そこには二枚の写真が飾られており、一人の中年男性と老夫婦が微笑んでいた。

「父さん、ばーちゃんじーちゃん、おはよう。挨拶遅れてごめん。」

 そう言って少女は手を合わせた。

「もうすぐばーちゃんが死んで49日だよね。私、何も出来ないけどお母さんのお見舞いはちゃんといってるよ。だから心配しないでね。」

 何を語りかけても、遺影はただ微笑むだけ。少女は虚しさを感じたが、泣きそうになる所を奥歯を噛み締めてぐっとこらえた。

「・・・それじゃあ、これから学校行ってくる。私の晴れの高校生活の第1歩だから、ヘマしないように祈っておいてね。」

 そう言い終ると、少女は立ち上がり身支度を整えはじめた。とりあえず朝ご飯は後回しにして、歯を磨き手際よく新しい制服に袖を通す。

「じゃあ、行って来ます。」

 虚空に向かって挨拶し、扉に鍵をかける。

 ――そう、この古びた屋敷には一人の少女しか住んでいなかった。



 少女の名前は、九曜 翡翠(くよう ひすい)と言う。小柄な体躯で、まるで少年のようなあどけない顔立ちをしているのだが、着ている制服と男性だと普通は現れない胸のふくらみ具合から女の子だと認識できる。そんな彼女は、行きがけのコンビニでゼリー飲料を購入し口に含みながらも、通学路を自転車で駆け抜ける。

 風紀担当の教師が見たら注意を受けそうな光景だが、30分も寝坊してしまったのだから仕方がない。遅刻するよりはマシだと自分に言い聞かせ、片道20分の道のりの間にゼリー飲料を飲み尽くした。門前の生徒の人だかりを見て、遅刻ではないと安堵した。



 ――人だかり?



 確かに今日は入学式当日。保護者や来賓が大勢来て門前が混むのは大体予想できるものではあったが、どうやらそこに溜まっているのはそれだけではないらしい。在校生と思われる生徒の多くも、門前の人垣にまじっていた。これでは自転車置き場に行くだけでも難儀をしそうだ。

 とりあえず出来るだけ端を通って、人込みをやりすごそうと試みる。しかし、人口密度は思った以上に高かったらしく、誰のものかも分からない肘やら脚やらが翡翠を押してくるが、それでも遅刻だけはしないように、と意地で通り抜けようとした。

 なんとか門を通過しようとした時、同じくこの集団から抜け出そうとした男子学生の裏拳が翡翠の顔に襲ってきた。思わず片手で顔を守るが、そんなものは気休め程度の防衛作でしかなかった。だが――



 ガツン

 骨と骨がぶつかるような衝撃音がして、悲鳴をあげたのは男子学生の方だった。



「・・・・・・大丈夫、か?」



 顔をあげると、そこには自分を守るようにして立っている見知らぬ男子生徒がいた。名札をつけていない所を見ると、翡翠と同じように新入生のようだ。状況がよく飲み込めてはいないが、どうやら彼が助けてくれたらしい。

「えーと、助けてくれてありがとう。」

 自分の頭にある『知人リスト』から少年と該当する顔を模作しながら、一応お礼を言っておく。どうして助けてくれたのかはよくわからなかったが、もしかしたら『良心』という単純な理由だったのかもしれない。その割にはかなりバイオレンスな助け方だったが。

「あなた、怪我とかしてない?大丈夫?こんな混雑だし。」

「人込みは嫌いだ。」

 誰も聞いていない事をあっさりと言い放った少年は、よく見るととても『美形』という単語では表せないような繊細な顔立ちをしている。きっちり二重まぶた、色素の薄い瞳、鼻筋は綺麗に通り、肌にニキビなど微塵も見られない。まるでポスターによく出ている外国人モデルのようだった。



「・・・あんた、九曜翡翠だろ?」



 ――どうして、私の名を知っているの?!

 カマをかけられるようなマネはした覚えはないし、第一この少年とは初対面である。しかし少年のほうは、恐らくは自分の存在を知った上で助けに入ったのだろう。そうでなければ、こんな非常時に名前なんて聞いてはこない。はるか昔のナンパ師じゃあるまいし。



「・・・そうですけど、何か?」

「これからは自分の安全に気をつけろ。あんな風になるぞ。」



 少年は顎で人垣の中心を指す。頭一つ飛びぬけている少年なら簡単に見られるのだろうが、翡翠の身長では人垣の上から中心を見ることなど出来ない。しかし、逆に人の手の下をくぐってその隙間からやっと人垣の原因を見ることができた。



 そこには、アスファルトに染み込んだ赤い絨毯の上に様々な菊の花束が置かれていた。



「ちょっと待って!?これってどういう・・・?」

 翡翠が問い掛けた時には、もう少年は姿を消していた。






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