「ねぇ・・・どういう事?これ。」
 車窓の外の景色をぼうぜんと眺めながら私はつぶやいた。口元の筋肉が妙な具合に痙攣(けいれん)しているのが自分でもよく分かる。
「どうしたもこうしたもあるか、見たまんまだ、見たまんま。」
 父さんが前を見据えたまま答える。その表情はいつもと違って険しく、固くハンドルを握った手には汗がじっとりと滲(にじ)んでいた。
「見たまんま・・・って、親父、外真っ白だぜ。」
「雪が降っているんだからしょうがないだろ。」
「誰かが窓を叩いてないか!?」
「強い風が吹いているだけだ。」
「いやぁ、これで車が動かなくなったら終わりだね、僕達。」
「物騒(ぶっそう)な事を言うな。人が真面目(まじめ)に運転しているんだから黙ってろ、このアホ息子ども!」
「でもおじさん、運転ってこの吹雪の中でどこ行っているか分かっているんですか?」
「分からん。」
「ええっ!?」
 一同驚嘆(きょうたん)の声をあげる。半ば分かっていたことではあるが、私はあらためて自分達の置かれている立場を理解した。

 ――ああ、馬鹿ばっかり。

「降ろしてくれっ。俺はまだ死にたくない!」
「・・・どうせ降りたって凍死するよ。」
 我が兄の蚊の鳴くような独り言を私はあっさりと否定した。

 時は四月のはじめ、学生は春休みの真っ最中。この絶好(ぜっこう)のレジャーシーズンに、父さんの昔の学友である大塚(おおつか)さんから手紙が届いた。
 中身は、ペンションへの招待状(しょうたいじょう)。
 この大塚さん、元は広告(こうこく)代理店(だいりてん)勤務(きんむ)だったのだが、事情があって奥さんの実家である旅館の経営を手がけていたらしい。しかし、その旅館を継げる人物が出てきたので、旅館はその人に任せて、自分達は新しくペンションを始めることにしたのだそうだ。
 私達が受け取ったのは、そのOPEN記念の招待状だ。家族全員が招待されたのだが、あいにく母と弟が行けなくなったので、幼なじみの良一を誘って父と三人の兄貴と私とでレンタルした三菱パジェロに乗り込み、大塚さんのペンションへ意気揚々(いきようよう)と出発したのだった。
 春先の北海道だからスキーは出来るし、空気も食べ物も美味しいし、景色にいたっては言うまでもない。それに、人工だけど温泉もあるって聞いたからかなり期待してたのに・・・なのに・・・・・・。

「何故(なぜ)ぇ!?なぜ四月なのに吹雪(ふぶ)くわけぇ!?あの天気予報の『寒冷(かんれい)前線(ぜんせん)は遠のき、少し風は強いですがおだやかな一日となるでしょう。』っていうのは、何なの!?」
「知らんっ。北海道(ほっかいどう)地方(ちほう)気象台(きしょうだい)に聞けっ!」
「親父ぃ、カーナビくらいつけとけよ。」
 カーナビゲーション付けていても意味がないと思うんですけど、この場合。
 全く、今日ほど乗った車が四輪(よんりん)駆動車(くどうしゃ)である事を感謝した日はない。もしも軽、あるいは一般乗用車だった場合、ブレーキなんぞかけようものなら、車がスリップして一巻の終わりである。
 この調子だと父さんも勘を頼りに運転してるんだろうな。――本気で死ぬかもしれん。
「あ、おじさん、前!」
 いきなり良一が身を乗り出してフロントガラスを、いやガラスの外の景色を指さした。そこには、ライトグレーの画面の中に小さな光が一つ、不規則な動きで近づいてくる。ちょうど蛍の光のようにも見えるが、無論この時期に蛍なんているわけがない。

 キキ―ッ

 父さんがあわててブレーキを踏む。車内の人間が大きく上下にゆれた。
「何だあれは・・・まさか・・・・・・。」
 良一が喉(のど)の奥からようやく出す声でつぶやく。
 数秒間時が止まる。外を容赦(ようしゃ)なく吹き荒れる北風の鳴く音が、いつもより鋭く聞こえた気がした。一方、フロントガラスに見えたあの光は、ついに私達の車のすぐ横まで来て、そこで止まった。

 ドンドンドン

 運転席のドアを叩く音がする。皆しばらくは虚ろ(うつろ)な目をしてそちらを見ていたが、はっと我に帰った父さんが叩かれているドアに手をかける。
「やめろ親父!もしとり憑(つ)かれたり、殺されたりしたらどうするんだ!?」

 ――やっぱりいたか、良一の「まさか・・・」の先を地方(ちほう)民話(みんわ)の内容と照らし合わせて考える非現実的な奴(やつ)が。

「そんな事ある訳ないだろうが!」
 半分自分に言い聞かせるようにして父さんはドアを開けた。冷たい空気がここぞとばかりにこの狭(せま)い空間に入り込んでくる。
「皆さん大丈夫(だいじょうぶ)・・・ん?川端(かわばた)。お前は川端か?」
「そういうお前は大塚じゃないか。」
 父さんの表情が緩(ゆる)む。実を言うと、かくいうこの私は今回で大塚さんと会うのは初めてなのだが、兄貴達の反応からしてどうやら本人であることは間違いないようだ。
「でもなんでお前がここにいるんだ?」
「この吹雪だからお前達がきっと道に迷っているんじゃないかと思ってな、迎(むか)えに来たんだ。」
 正解である。このまま走っていても行き着く先は崖(がけ)の下か森の中、下手をすれば天国だ。
「ペンションはすぐ先だ。これから私の言うとおりに車を動かしてくれ。くれぐれも横道にそれるなよ。」
 ゆっくりと車が前進する。ここで私達はやっと身の安全を確信(かくしん)したのだった。




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