しばらく重い沈黙があたりを支配した。 お互いに向かい合ったまま黙っていた翡翠と渚だが、先に口を開いたのは翡翠だった。 「滸って子は私のことを知っていたの?」 「……ああ。」 かすかに渚が頷く。 「滸と渚にとって、翡翠は運命の星だった。翡翠がいたから、俺達は絆を手に入れることができた。」 ――俺達? 渚が自分のことを名前で呼ぶことに、翡翠は抵抗を覚えた。 「……絆?」 「そう。翡翠を守るという、大切な絆だ。」 滸を知らない翡翠にとって、それがどのようなものなのかは窺い知ることはできない。だが渚にとってかけがえのないものなのだということは伝わってきた。 それと同時に、自分は守られる価値があるのかという思いが翡翠の中をよぎった。今まで存在すら知らなかった二人に、死なせてしまった滸に、自分はどう対すればいいのか。 「ここに来てすぐの時、私を守るためにここに居るのだと言ったよね?」 「ああ。」 「理由は私が当主だから?それとも、当主が私だから?」 「それは……」 渚の返事は襲ってきた突風によって遮られた。
『久しぶりだな、滸。思ったより元気そうじゃねーか。』 ――滸?! 「ちょっと待って、滸って人は死んだんじゃあ……。」 混乱した翡翠は、見えぬ風に向かって反論する。 『死んだ?お前何言って……』 「滸は死んだ!!貴様は何者だ!?」 風の言葉は渚の怒号によってかき消された。彼は素早く翡翠の前に回りこみ、彼女を庇う。 『俺が何者かなんて明かすつもりないね。俺が用あるのは、そこの当主だけだ。』 その一言と同時に、風に煽られた桜の花びらが翡翠達に向かって降り注いだ。その一つ一つが刃が鋭利な刃物のごとく、少しずつ二人を切り刻む。 「……ふざけるな!!」 いつもは寡黙である渚が吼えた。彼は風に飛ばされた小枝を拾い上げ、力を込める。すると細い小枝は、見る間に光の剣へと変貌した。 「な、何!?」 この変化に一番戸惑ったのは、何も知らされていない翡翠であった。今までストーカーとしてしか認識していなかったこの少年に、こんな能力があったとは。 「能書きは後だ。早く他の奴を連れてきてくれ。」 渚らしかぬ余裕のない口調だった。翡翠はうなづくと、そのまま家の中に入ろうとする。だが。
「動かない!?何やったのよ!?」 『窮屈だろうけどしばらく辛抱してちょうだい。今、これ以上唄守を呼ばれると困るのよ。』 ――唄守? 聞いたことのない言葉に再度翻弄される翡翠であったが、今この場が修羅場であることは理解できた。 「……仲間か?!」 未だ姿を見せない敵たちに、渚は明らかに焦りを見せる。 『無理すんな、滸。お前一人に俺達の相手は無理だ。』 再び桜の刃が降り注ぐ。渚はありったけの力で花びらを切りにかかるが、一つの剣で対応できる量には限度があった。 「痛っ!!」 花びらが翡翠の顔を浅く切った。両手で防ごうにも、今の彼女には両腕を後ろに回して硬直したままだ。自分に出来る事はないものかと、頭の中でしばし考える。
『自分の持つ力は危険を孕んでいるという事を忘れないでください。』
――私にも、彼らに対抗できる力があるのかもしれない。 翡翠は自分の後ろ手に全神経を集中させ、この呪縛が解けるかどうか試してみる。すると、ぴくりと人差し指が動いた。どうやら、完全に動きを封じられたわけではないらしい。 彼女は後ろ手のまま左手を伸ばした。指輪がはめられている、右手の薬指めがけて。 もう少しで指輪へ到達するであろう所まで手を持ってきたところで、突然渡り廊下の扉が開かれた。翡翠の手が止まる。
中庭に現れた鴇人に対し、翡翠はやっとの力で問いかける。 「それもおいおい話しますよ。」 「……鴇人さんって、いつもそう。隠し事ばっかり。」 「渚君と翡翠さんの状況からして、のんびり話している時ではないようですからね。部外者にはお引取り頂かなくては。」 そう言って鴇人は虚空に向かって声をかける。 「どうしますか?光秀君。僕は君達の正体も場所も知ってますし、返答によってはこちらに出てきてもらう事になりますが。」 鴇人の言葉に気迫が籠もる。翡翠は、こんなに殺気立った鴇人を見たのは初めてだった。 『……唄守を二人相手にするほど俺も馬鹿じゃない。この場は引くさ。』 その言葉の直後、翡翠の身が軽くなった。束縛が解けたのだ。
「二人とも、外傷はかすり傷だけですか?」 いつもの柔らかい雰囲気に戻った鴇人が、中庭の二人に語りかけた。 「……何も。」 「私も目立った傷は受けてません。……これからも出てくるんでしょうか?あの人たち。」 「ええ、増えるでしょうね。あのテの手合いは。」 翡翠の問いに対して、鴇人はため息をつく。 「九曜家の当主って何者なんでしょうね。拉致られたかと思うと保護しているのだと言うし、保護されているはずなのに得体の知れない人たちに襲われたりして。鴇人さんには、何でもお見通しみたいですけど。」 「……翡翠さん、それは僕へのあてこすりですか?」 苦笑した鴇人が翡翠の頭を撫でようとしたが、彼女の右手がそれを拒絶した。
「やーい、嫌われた。」 間もなく残された男二人の上空から、軽薄そうな野次が飛んでくる。 「和孝君、そんなに面白いですか?」 「いや、お二人さん、あまりにもあの嬢ちゃんを大切にする余り、ちょっと過保護になっちゃいないかと思ってね。秘密主義も結構だけど、当主を自覚した以上もう少し責任を持たせてもいいでない?」 「……それでも重過ぎますよ、彼女には……。」 鴇人はそう漏らすと、空を仰いだ。確かに、彼女――翡翠に伝えていない事は沢山ある。
「あんたは考えすぎなんだよ、そんなに考えるとこの先ハゲるぞ。」 そう言って青年はニヤリと笑うのだった。
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