俺の名前は加藤剛(かとう つよし)。成績は並・・・というか、並以下。俺の通っている学校が全国区の進学校である事もあって、いつも俺の成績順位は下から数えた方が早かった。当然補習の常連でもあった。 こんな俺でも、一応弁護士を目指している。学校の中には医者の子やら両親が資産家の家も少なくないが、俺の家庭はごく一般のサラリーマン家庭なのでせめて俺は『手堅く安定した収入』を得たいが為に昨年は片っ端から国立の法学部を受けた。
そんな男が何故俺なんかと親友なのか実は俺自身もよく分からないのだが、中学の頃クラスメイトになってからずっと仲がよく、気付いたら人から親友だと言われていた。 そんな橘が、浪人になって二度目の模試で突然偏差値を20以上も下げてしまい、意外にも同じクラスで勉強することになった。後から聞いた話では、やはり狙ってこれくらいの成績を取ったらしい。
そんな先生に惚れてしまったのが、先程説明した橘だった。俺のような非モテ男からすると信じられない話だが、今まで付き合っていた才色兼備で優しい大久保先生を振り、成績を大幅に落としてまで瀬名先生のクラスに入ってきたのである。 俺は、女のためにここまで真剣になる親友の姿は6年以上の付き合いだが始めて見た。だが瀬名先生はというと、生徒と恋愛する気は毛頭ないらしく、あの橘がこっぴどく振られたようだった。
「お、加藤お疲れ。勉強やってんの?愁傷な心がけじゃない。」 「俺だってもう浪人は勘弁して欲しいですから。今、受験用の基礎問題でざっと再復習しているところです。」 「偉い偉い。他の奴も加藤を見習って欲しいもんだね。」 「現役時代はなかなか意識しないもんスよ。自分もそうだったし。」 「そんなもんかねぇー。」 瀬名先生は何か考え込むように、俺の顔を眺めている。 「せ、先生?何かあるの?」 「うーん・・・加藤、折り入ってあんたに頼みたいことがあるんだよねぇ。」 そう言って先生は、横目でちらりと俺に視線を移した。なんだか嫌な予感がする。 「先生、俺受験生だから出来る事は少ないかと・・・」 「いや、あんただから出来る事なんだよ、加藤君!」 いきなりがっしりと肩を掴まれる。ますます嫌な予感がした。
「すいません、俺、明日の予習あるもんでこれで・・・」 「いやいや加藤君、飲み物持ったまま自習室には行けないでしょー。まぁ落ち着きなさい、タダとは言わないから。」 落ち着いてなんていられない。先生の言ったさっきの言葉は、俺の脳内翻訳辞典によれば『橘に喧嘩売ってきなさい』としか聞こえなかった。 「お礼にジュース奢るから。ホラ、ペットボトルの高いやつでもいいし。」 「ジュースで親友は売れませんよ・・・」 「むむむ、ではしょうがない。マックのバリューセットなんてどう?」 「ワンコインであの橘を説得させる気なら他当たってください。俺は嫌です。」 俺と瀬名先生の不毛な攻防戦が続く。普通ならジュース一杯でもある程度までの頼みなら聞いているつもりだが、相手が橘では話が変わる。なまじ一緒に居た時間が多かったために、橘の恐ろしさは誰よりも知っていた。
「乗ったぁ!!」
こうして俺は、いつものように厄介事を引き受けるはめになった。
問題は、あの橘をどう説得するかである。 「ごめんな橘。俺どうしても次の予習で分からない部分あってさ。」 「いや、構わんさ。どうせ図書館か予備校に行く予定だったから。クラスメイトだしな。」 『クラスメイト』を強調されるといたたまれない気分になる。これって端的に言うと、牛タン定食で橘を売り渡す事なんだもんな・・・・・・。 「どうした?」 「あ、いや、なんでもない!こ、ここが分からなくてさー」 何か勘ぐられる前に俺は無難な話題に持ち込んだ。数分間くらい橘から問題の解き方を教えてもらう。 「あー、なるほど。こう解くと早いわけだな。」 「加藤、お前もう少し効率のいい問題の解き方した方がいいぞ。試験時間が足りなくなる。」 その通り。俺はどうも勉強にも人生にも効率のいい方法を取れない人種なのだった。 「うん、ありがと橘。あとこれ話が変わるんだけど・・・」 頃合を見て、俺は今日の本当の話題を切り出した。
「俺ずっと思ってたんだ。橘が大久保先生と付き合っていた時も、『本当にこれでいいのか?』って。予備校に未練が残ったらそれこそ合格への士気に関わるし、相手側にもいろいろ事情があるだろうし、あんまり無理しようとするとあっちに迷惑・・・」 「・・・言いたいことはそれだけか?加藤」 橘が無表情のまま俺の言葉を遮る。俺は恐怖で喉が渇いていくのを実感した。 ――やばい、本気で怒っている顔だアレは・・・。
・・・コイツ、もしかして始めから全部わかっていたんじゃあ・・・?
「俺と先生の仲を邪魔しようとする奴ねぇ。大久保センセはどうやら落ち着いたようだし、残るは小池先生か瀬名先生だな。お前を使ってきたという事は、大方瀬名先生あたりから呼び出しくらったんだろ。違うか?」 ハイ、その通りでございます。 「黙っているところを見ると図星だな。エサは何?」 「・・・ごめん、俺一応良心ってやつ持ってるから、ニュースソースは答えられないよ。」 何もかもお見通しだった橘には、こう言うしかない。言い訳すればするほどボロを出すことは今までの経験が物語っている。 すると、無言で俯いている俺に橘はある紙切れを取り出して見せた。
「そ、それって『ヴァルハラ・オンライン』のプラチナチケット?!」 「最近出来た新しいゲームみたいだな。まぁ俺はあんまり興味ないけど。」 「俺はある!!どんなに店探しても売ってなかった限定チケットなんだぞそれ!!」 容姿端麗な悪魔は、ニヤリと笑ってみせる。
こうして俺は、いつものように橘に屈することになった。
「ごめんごめん加藤、メールしたと思うけど電車一本遅らせちゃって。」 「いいッスよそれくらい。ただ・・・」 「ただ?何?」 何も知らない先生は、いつもの調子で話し掛ける。良心が痛い俺は、なんとなく目を逸らしてしまった。
「すいません先生!!やはり俺には無理でした!!あきらめてください!!」 「駄目だったら駄目で、どうして予め連絡してくれなかったの?!」
そうなのだ。中学の時からそうだった。俺は、橘に隠し事をする事が出来なかった。橘曰く「お前は単純だからな」だそうだが、無理なものはやっぱり無理だった。
「ちょ、ちょっと。私は加藤に奢るって言ったのであって、橘には全く関係ない・・・」 「『権利が移った』と言ったじゃないですか。加藤から権利を買ったんですよ。」 「・・・すいません、俺、ちょっとこれからスーパーのタイムサービスに行って来ます。では先生、ごゆっくり!!」 「そんな主婦じみた受験生なんざ居ないわっ!!加藤待ちなさい!!」
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